福島 諭 / satoshi fukushima







2015年1月というのは私と濱地潤一さんにとって特別な月となった、と言っていいだろう。《変容の対象》2013年版の抜粋初演の他、新潟で濱地潤一+福島諭の演奏を行う機会も2回あったためだ。1月に3つの発表を行うことは初めてのことだったし、必然的に発表へ向うための精神の集中や純度の高い時間に浸るような体験をした。その中にはまだ明確に帰結を結ばない出来事として過ぎ去っていくものもあるが、なぜか心に残るものもあった。通常であれば《変容の対象》の初演時の様子だけ文章に留めておくのであるが、今回は例外的にこれら3つの発表とそれにまつわる2、3の出来事をまとめておくことにする。福島諭


2015年1月10日、《変容の対象》2013年版の初演が行われた。その日は3連休の初日ということもあって朝は早めに実家を出た。濱地潤一さんの宿泊されているホテルを間違えて少し時間を無駄にしたが思っていたよりは道路も混まずに順調だった。濱地さんと合流し、2人でりゅーとぴあへ向った。




10時から30分のリハーサルも無事に終えた。今回はクラリネットに広瀬寿美さん、ピアノに若杉百合恵さんという編成。《変容の対象》2013年版を抜粋で初演してもらう。約一ヶ月前のリハーサルの時もこちらの言葉1つ1つを音の変化で答えてくれる、軽快な変化の速度を感じていたたからもともと感触は悪くなかった。当日のリハも1回の通しと気になる箇所2、3の確認をして終え、その後ロビーで4人で話した。濱地さんからも12月の曲のイメージについて補足的な言及などもあり、"そこではもう少し歪んだ感じで、時間軸にきっちり添わずに揺れても良い"というような内容も話されていた。リハーサルではそれだけ精度のある拍感で演奏をしてくれていたということでもある。






開演時間までの残りの時間は合唱団Lalariの練習に参加した。練習会場を無理言って同じ建物内にしてもらっていたのだけど、練習時間と開演時間がほとんど重なり、結局ゆっくりと参加は出来なかったので申し訳なかった。
開演の時間が近づき会場に入るともうほぼ客席は埋まっていて、そこにははるばる岐阜から来てくださった映像作家・前田真二郎さんの姿もあった。軽く挨拶を交わし、《変容の対象》2013年版の抜粋初演を聴いた。
リハーサルでやや心配していた残響の長さも、お客さんの数や、休符を短めに大切にする演奏に変えてもらった関係で音楽的に重要と思われる静かな瞬間が垣間みれた。それは特に最初に演奏された《3月》で効果的だった。また全体を通して広瀬寿美さんのクラリネットの音色がリハよりも豊かに伸びのあるものになっていたのが印象に残った。打ち上げでそれを話すと、普段はしないのだけど、、と前置きしながら今回はリードを本番前に変えたのだそうだ。今回はそれは良かったように思います、とお伝えした。《11月》は特別な曲だ。2013年の11月に行われた飛谷謙介さんの御結婚に向けて作曲された作品であるからだ。今回の初演にあわせて飛谷さんが新潟に来てくれるという話もあり、それで翌日の砂丘館の演奏会を企画したという経緯もあった。終盤の印象的なクラリネットのみのロングトーンも終わり方も良かったと思う。《12月》はリハーサルの時よりもよく揺れていた。可能性を感じる独特の質感に近づきつつあると感じた。総じて演奏自体は大きなミスも無く見事な初演だったと感じた。とても有り難いことだった。
休憩中、会場から出て行かれる人の中にピアニストの石井朋子さんかと思われる後ろ姿が見えて驚き、追いかけて声をかけさせてもらった。やはり石井さんであった。去年の後半から広島に生活の拠点をおかれていると聞いていたのでまさか今回お会いできるとは思っていなかった。私や濱地さんにとっては《変容の対象》2011年を初演してくださったピアニストだ。とても嬉しく感じた。少しそのままお話ししたあと、外で喫煙されている濱地潤一さんのところへ私だけ行って報告した。




演奏会を終え、いろいろな方と少しお話できた。ふと気がつくとまだ合唱の練習に間に合う時間だと分かり挨拶もそこそこに練習へ参加した。曲の通しを2回だけ歌うことができた。

終演後、濱地さんと前田さんは二人でお茶に行き、私は打ち上げに参加した(元々そうしようということになっていた)。奏者の方々や他の作曲の先生方と短い時間だったがお話をして、少し早めに退席させてもらった。打ち上げの中の会話からは、奏者の方々が普段どのような姿勢で演奏に向うのかということが伺えてよかった。皆それぞれに工夫や基本姿勢を持っている。ベルガルモのチェリストでもある渋谷陽子さんには、楽譜は置いてあってもほとんど見ずに演奏してましたよねと言うと、はい、暗譜するくらいでないと弾くことはできないので、というような言葉を謙虚な口調で仰った。その様子が石井さんの雰囲気と(同じではないにしろ)どことなく似ており、ベルガルモの奏者の方々に共通する、音楽に対する基本姿勢のようなものがありそうだと感じた。クラリネットの広瀬寿美さんはリードを「育てる」といった。常に何枚かのリードを持っており一番良い時期を見極めるようにしているのだという。また、作曲家の遠藤雅夫さんが、今回の演奏会を通して感じられたのは響きの中に新潟の土地を感じさせる湿度があると仰ったのが印象に残った。
途中、ピアニストの石井朋子さんから私と濱地さんへメールが送られて来た。明日の砂丘館の発表に行けることになったという。有り難いことだった。




次の日の準備もまだ残っているのは頭の片隅では分かっていたが、お店を出てから濱地潤一さんへ連絡した。まだ前田真二郎さんと食事をしているということだったので合流した。いろいろな話題が出てとても貴重な時間を過ごした。日付が変わった頃に解散。濱地さんをホテルに送ってから実家に帰る。その後、11日の準備を少し進めた。当日配布予定のCDRに収録する曲の音質調整をほぼ終えたが、まだ他にいくつかやることはあった。全ては終わらない中いつの間にか横になり寝ていた。


2015年1月11日早朝に目を覚ました。3時間ほどあれこれ準備をしてとりあえず出発する。会場の砂丘館に9時到着の予定は少し遅れてしまいそうだったので、同じく9時に到着予定だった遠藤龍さんには先に入って作業しておいてくださいと連絡する。10分程度の遅れで済んだが、会場では遠藤龍さんがすでにプロジェクターの設置準備を進めてくれていた。
会場設営を進めつつ、ホテルをチェックアウトした濱地潤一さんを向えに行って2人であらためて会場入り。PAの西村繁さんも順調に設置を終えてくださった。当日配布する資料の準備など濱地さんや遠藤さん山倉さんなども手伝ってくれ大変助かったが、結局ギリギリになって冷や汗、反省だった。
リハーサルは逆リハでMimizの鈴木さん飛谷さんが予定時刻ぴったりに来てくれたあたりから時間の流れがどんどん加速した。尺八を演奏する父も静かな気合いが伝わってきてリハーサルではあまり合わせなかったがいくつかのポイントで、本番は音量バランスなどをもっと丁寧にしなければいけないと気持を引き締めた。
数日前までには大変心配していた集客も、結果的には定員30名を少し超えるくらい集まっていただけ大変感謝だった。また、今回、《変容の対象》歴代の奏者の方々もほとんど足を運んでくださったのにも驚いた。石井朋子(pf)さん、広瀬寿美(Cl)さん、品田真彦(pf)さん、若杉 百合恵(pf)さんである。こんなことは今までは全くないことで、これは何か一歩、何かが進んだように感じられた状況だった。


演奏会もなんとか無事に終えられたと思う。Mikkyozのライブ・パフォーマンスは初めてだったが彼らの提示する映像と音の世界を観て、これまでの展示からおぼろげに感じていた部分に私の中で焦点が合ってきたような気がした。父の尺八との演奏は音のバランスなどなかなか難しいところもあったが、可能性を感じる作品にはなった、いつか改訂してみたい。Mimizは冒頭の数分間で私の処理が思い通りに行かない箇所があったが鈴木さんと飛谷さんの集中力に助けられ、以降は良かったのではないかと思う。濱地さんとの演奏は2014年2月以来の2曲を再演できたことは格別の喜びだった。そのうちの1曲濱地潤一作曲の《 分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔 》という作品は演奏毎にその表情を変えるのでこれはもっと演奏したいと感じた。濱地さん自身の演奏スタイルも、より休符が多くなるように変更を加えていたようだった。もうひとつの曲《patrinia yellow》のアルト・サクソフォンバージョンの再演も無事終えられてほっとした。システムのトラブルはなかった。また、今回の演奏会の最後は濱地潤一さんのimprovisation 《 Chattanooga 》でこれは様々な技法の表れる色彩的な作品だった。中盤のアルペジオが終盤に循環呼吸を伴うマルチフォニックスによって彩られる箇所は作品の意図(音響的なレベルと認知的なレベルで作用する/作用しないというような焦点の充て方に意識的であるように思われる)も明瞭で大変興味深かった。

打ち上げは父が担当してくれた。新潟の郷土料理のお店ということで県外の方には話題にもなっていて良かった。ここまで来るともう頭は完全にオフになっていて後はニコニコ話を聞いているだけで楽しかった。2次会はMikkyozのお二人が手配してくれて出演者を中心に足を運んだ。偶然東京から仕事で戻ったばかりと言う森岡紀之さんと会うこともでき、一緒に飲んだ。そして私はいつの間にか寝てしまったようだ。

大変に貴重な時間の密度を感じることができた2日間だった。疲れもあったし細かな反省点はつきものだけれど、それより増して得ることの多い時間となったのはこうして話し合える周りの皆のおかげなのだと改めて感じた。



2015年1月24日新潟県政記念館でexperimental rooms主催のイベントに参加。もともと2014年11月の予定だったものが今年の1月に変更になったものである。このため、濱地潤一さんは今月2回も新潟に来県されることになっていた。移動は疲れるしましてや発表が絡めばなおさら疲弊する。やっと疲れがとれた頃にはまた移動、という感じだったのではないだろうか。無理をさせたが、いろいろな状況も重なって結果的には今月の発表になって良かったのではないかと、いまは思っている。前日の23日にピアニスト石井朋子さんの演奏会がりゅーとぴあで行われたのでそれを濱地さんが聴くことができ(私は会場まで行ったが満席で入場できなかった。)、24日の発表を挟んで25日は合唱団Lalariの本番があった。また、Mikkyozの展示も砂丘館で行われている時期だった。こういうことは滅多に無い機会だからと半ば強引に滞在を一日延ばしていただいたのだ。私としては大変ありがたかった。言葉では伝えられない情報があり、濱地さんに知っていただくことは今後重要なのではないかと思っていた。



一番心配していた気候も想定よりは随分良く、寒さのための機材トラブルなども最悪想定していたものの、実際には起きることもなく、大変ありがたかった。会場が文化財指定されているので火気は使えず、お客さんにとっても少し過酷な状況ではあっただろうが、濱地潤一さんのアルト・サクソフォンは会場の嫌みのない響きと相まって実に伸びやかだった。この日は冒頭に7分程度の即興(始まり方だけは決めた)、そして濱地潤一作曲《 分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔 》、福島諭作曲《 patrinia yellow 》for AltoSaxophone and computerの3曲構成とした。最初に演奏したような即興はよくよく考えればこのように人前で発表することはほとんど(一回も?)無かったのではないか、という濱地さんの言葉でなるほどそうかもしれないと思う。これまで発表では必ず何かしら楽譜を介在させて来たからだ。しかし本番の演奏中、頭の中で行われている情報のやり取り、出音に対する濱地さんの反応などとても自然に捉えられていた。それはなぜかと数日考えたが、それはこれまで日常的に《変容の対象》で二人での即興を続けてきたことが大きく影響しているのではないかと感じはじめている。作曲(あるいは譜面を介した演奏)を1月という期間に引き延ばしてはいるものの、これまで6年以上も続けてきた《変容の対象》中に見られる独特の間合いは記憶の中にも蓄積されている、そうした態度をリニアな時間の流れの中で展開してみせただけのようだった。不思議な感慨を覚えた。
2014年の2月の初演から3回演奏することになった《 分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔 》、そして《 patrinia yellow 》for AltoSaxophone and computerであるが、やるたびに発見があり、また演奏したいと思える曲となった。濱地潤一さんとコンピュータを介在させた室内楽形式の楽曲というのは当初より試して来ていたがここまで再演に耐える楽曲も少ない。出会った頃からこの目標があったといえるから、2008年から約6~7年の試行錯誤を続けてようやく幾度の再演に耐え得るレパートリーが出来たような、そんな清々しさも感じることのできた1ヶ月となった。








(2015年2月2日から3月08日までに記す)