福島 諭 / satoshi fukushima





2015年2月1日:早朝に燕三条駅まで父に送ってもらい東京へ。9時過ぎに乃木坂駅に着く。一ヶ月ほど前に父が、これはもう着れないのだけどお前着るか?と差し出したのは父が若い頃に着たというトレンチ・コートだった。約40年前のものだそうだ。新潟での真冬の格好では東京は暑いかもしれないと思っていたので、そのコートを着ての上京になった。今回は約1週間東京へ滞在することになっている。展示準備のため、そしてラウンジ・トークという場で楽曲を発表するためだ。
私に土地勘がなく高橋悠さん香苗さんとの合流に少し手間取ってしまったが、他は大きな問題なく会場に入ることができた。設置のための準備は事前に送っておいた機材などの確認から始まったが概ね大丈夫そうであった。空間の感じを確かめたり実際に音出しをするところまできて、中央スピーカからの音量が極めて小さく何かがおかしい、、と戸惑う。いろいろ原因を探るもどうもはっきり分からない。30分ほど手間取ってからふと思い立って、オーディオ・インターフェイスのつまみを回してみたら元の状態になりほっとした。が、余計な時間だった。高橋夫妻にも心配をかけた。このオーディオ・インターフェイスは今回が初めての使用で、まだ信頼関係ができていないのが原因のひとつでもある。こうして音が順調に出てから、高橋悠さんが3Dプリンタを使って新たに作って来てくれた珍しい形状のスピーカの鳴りを試すことにした。事前の確認を新潟でした後に、高橋さんが思いついた形状なのだと言う。結局この曲線的で上下対称な形状のものが音も良く鳴っていたので決定とした。形状的にも不思議な存在感を放ってくれてとても気に入った。
会場の設営も周りのブースが忙しそうだったのでこちらからの要求もゆっくりとしか進まない。まずはこういう細かな心配事を1つ1つ解消していくような地道な作業を行っていくことにした。順調だし、他にすることもないので悪くはないのだけれど、若干手持ち無沙汰になった。仕方ないので3人で会場を抜け出して美術館内のカフェで軽い食事をした。一息ついてからもう一度設置へ戻る。会場の機材やスピーカの位置などは、最終的に決めるべきところはほとんど高橋悠さんと香苗さんが決めてくれた。こういう空間的な感覚は自分にはあまりないので大変に心強かった。15時ごろ、作業も一段落であとはあまりこちらで進められないことになってしまい、ここで高橋夫妻は新潟に帰ることになった。私も二人を見送ってから、ホテルにチェックインすることにした。道に迷い、しばらく歩いた。東京はとても良く晴れていたので大きなスーツケースを引きずっている以外はまるで散歩のようだった。



なんとかチェックインして、部屋でメール処理などをした後、外に出た。赤坂駅のほうに歩いて位置関係を少し把握した。もうあたりは暗かったし少しお腹もすいたので、ここでも結構迷歩き回って結局最初に気になった中華料理屋に入り麻婆豆腐を食べた。セットの飲み物はビールにもできたがお茶にした。時計を見ると18時頃で、お店の客はまだ私1人だった。お茶が氷の入ったアイスで出て来たのを見て、温かいお茶と念押せば良かったと少し後悔した。

2月2日:設置2日目。次の日が内覧会のため、今日が設置の最終日ということになる。いろいろな業者が入っていて慌ただしくなっていた。私のブースは、あとは照明と正面に貼るパネルが今日到着するというので到着次第それをつけて外観は終わる予定。あとは周りの作品との音量バランスを見なければいけないので、もう今日はゆっくり一日ここで過ごすくらいの心持ちで臨もうと思った。実質的にやることの無い時間は《変容の対象》のweb更新のための準備などをすすめた。それだけでも大分時間は経過した。自由に休憩も挟みつつ、作業をしてくれる方が来たら少し指示をさせてもらってというような感じで1日が終わる。全体を統括している莇 貴彦さん、現場の具体的な設置を行っている金築 浩史さんにはこちらの心配事を1つ1つ解決してくださり大変心強かった。途中、文化庁の方々が会場を視察に来られて、音量のことで呼ばれた。大きいのかと思って「絞りましょうか?」と言ったら「いや、音の作品だから出して」と言われた。作品をそういう理解でいてくれるのかと少し驚いた。周りの作品の音がうるさいかもしれないからということで、明日までにカーテンを入り口につけるかもしれないなどとも言われた。ここで、文化庁の廣田ふみさんに会う。IAMASの後輩ということになるらしく、今は文化庁に勤めている方、名前は聞いていたがお会いするのは初めてだった。



結局帰ると夜9時は過ぎており、胃腸もなんだか疲れている気がしたのでホテル前の和食のチェーン店に入る。席に着いたがなにも進展しないので何かと思ったら最初に入り口の券売機でチケットを購入するシステムだった。まわりの客の、店員に対する態度が悪すぎて少し気分が悪くなる。黙々と食べ、ごちそうさまでした、と言ってからホテルに戻った。明日は内覧会。

2月3日:結局、内覧会というものがどういうイメージなのか分からないまま当日を迎える。集合時刻よりは2時間ほど早く会場入りして音量など不安な点をチェックしていった。入り口にカーテンはなかったが、変わりに真向かいの作品の入り口にカーテンが下げられていた。いろいろ対応してくださった方がいることに頭が下がった。
隣の展示空間に作品を出されている五島 一浩さんとは設置日を含めて何度かお話をさせてもらっていた。作品の「フレームを持たない映像」という観点が分かりやすく説明されてあって良い作品だと感じていた。記者向けの内覧会から父と合流することになっていた。警備員と主催側との時間の確認にズレがあったらしく、予定の時間には父達は正門から中へ入れなかった。正門の柵越しに家族と話をした。予定より15分ほど遅くなっているものの、父は結局間に合って合流。その後は一緒に行動した。







15時から15時半まで時間ができたので内覧会へ。高橋悠さん香苗さん、クラリネットの鈴木生子さんとそのお弟子さんがいらしてくれて嬉しかった。服がスーツなのでなんだか気持が落ち着かなかった。
父とその後表彰式、懇親会と出て解散した。懇親会では元IAMAS学長の関口先生とも再会できた。
ホテルに戻ると母が一杯だけ飲みたいというので、少し歩いてから結局ホテル前のイタリアンまで戻って食べた。皆で楽しく話ができ少し気持が緩んだ。

2月4日:この日はリハーサルもなく完全にoffにした。家族で観光しようかということになっていた。所謂ハトバス観光というやつで、父以外は皆初めてだった。
朝食が少し遅れたのと近道と思っていた道が上手く通れなかったりで遅くなり、結局ハトバスの出る新宿のアルタ前までぎりぎりの到着。最後は駆け足ということになった。手術後の父が少し大変そうで申し訳なかった。走ったことと、快晴だったこととで厚着では汗をかくくらいの一日だった。皇居、東京タワー(初めて登った)、昼食、船で浅草まで移動して夕方4時頃に解散。途中アサヒアートスクエアを見て《BUNDEL IMPACTOR》の初演を少し思い出したりもした。
東京駅で解散。家族は新潟へ、私は赤坂に戻って夜のスーパーデラックスのイベント、ラウンジトークを観に行くことにしていた。ここでも道に迷ったが徒歩で到着し、イベントの終わる22時30分まで会場にいた。この日はエンターテイメント部門の受賞者の発表で、270人規模の凄い人数のお客さんで賑わっていた。大賞を受賞した体験型のゲームingressのファンの方も多かったようだ、少し圧倒されてしまった。全てが人間を中心に世の中が回っているような世界を見せつけられた気持ちになって放心。帰り道では道に迷って90分ほど歩いたがまだ頭はすっきりしなかった。日付をまたいでホテルに着き、シャワーを浴びたあと落ちるように就寝。

2月5日:いよいよ明日がラウンジ・トーク(作品の再演もする)の本番ということで、この日はお昼に奏者の鈴木生子さんとリハーサルをする予定だった。朝食後、少しメール処理をして機材の確認。必要なものを持って高円寺へ移動。リハーサルはシステムの確認と演奏方法を復習するような形で進んだ。スピーカは1台のモノラルしか持っていかなかったのでコンピュータ処理は本番の環境でなければ分からない。それ以外の点は問題なく動作していたのでひとまず安心した。その後解散し、私は国立新美術館へ。東京へ到着した濱地潤一さんと合流する。そのまま、この日のシンポジウムに二人で向った。モデレーターは松井茂さん(アート部門選考委員/詩人/東京藝術大学芸術情報センター助教)、テーマは「メディアアートの記述は可能か?」。
事前の告知では上崎千さん(慶應義塾大学アート・センター所員)山口祥平さん(首都大学東京助教、インターローカル・アート・ネットワーク・センター[CIAN])、植松 由佳さん(アート部門審査委員/国立国際美術館主任研究員)の登壇が告知されていたが、当日は檜垣 智也さん(アート部門審査委員会推薦作品「囚われた女~秋山邦晴のテープレコーダーのための詩による」)も参加されており益々楽しみになった。(上崎千さんはインフルエンザのためSkypeで参加という少し珍しい形にもなっていた。)檜垣 智也さんの「囚われた女~秋山邦晴のテープレコーダーのための詩による」の楽曲全て(約15分)の再生が行われた。どちらも会場の天井スピーカからの再生だったためか、普段ではあまり聴かないような効果も感じられた。特に檜垣 智也さんの作品はもしかして会場のスピーカを複数チャンネルに分けているのかとも思えるような、周波数帯の分離が感じられて面白かった。
シンポジウムでは再現不能(あるいは再現することに意味のない)なインスタレーション作品をどう残すのか、作家の指定した機材が手に入らなくなった場合「作品をリタイアさせる」ということも有り得るという観点など普段音楽ではあまり意識しない事柄に新鮮さを覚えた。一方で音楽に関する記述については自分にとっては身近であるが、この日のシンポジウムの最後の質疑応答で若い質問者から音響詩とは?文字の詩と比べると表現領域が限定されすぎるのでは?という質問に、松井 茂さんと檜垣 智也さんの答えが誠実かつ真っ当でよかった。音響詩はテープなどの記録媒体が普及するに伴って模索された表現形態といえること、また今回の「囚われた女~」についての檜垣 智也さんの立ち位置としては、"ある作品のスコアに対して1人の作家がリアライズを行ったものである"ということであり、その関係性を考慮すれば作品自体は限定的にはなり得ない。
そしてこれは時に再現芸術とも言われる音楽の、「スコアと演奏」という関係と根本的には同じ態度でありこれは当然と思う一方で、記録媒体やリアルタイムの処理機構を組み込むような作品スタイルの楽曲においては再現が困難な領域はどんどん多くなっていくだろうし、こうしたことへの配慮をどうするべきかなど、音楽だけに限ってもまだ多く(再)検討していかなければいけないものもある気がした。有意義なシンポジウムだった。



その後美術館を出、濱地さんとスーパー・デラックスまで歩き、この日のラウンジトークも聞くことにしていた。この日はアート部門の受賞者などがプレゼンをして最後に審査員たちの総括的な談話が行われた。受賞者や審査員推薦作品の作者など皆海外のアーティストの話が主だった。昨日に比べるとお客さんは少なかったものの、質問が活発に出たりで登壇者と観客、両者の意識の高さなども感じられ刺激になった。濱地さんと二人で最後まで残り、終わったら早々に解散した。我々にとっては明日が本番である。



2月6日:ホテルで朝食を済ませて部屋に戻り、今日は発表当日なのだと考える。演奏時にプロジェクションする予定のタイトル文字と、それを《BUNDLE IMPACTOR》の時のみオーボエの音にあわせて何らかの処理を加える予定だった。アイディアはあったが具体的にプログラムは書けていなかった。午前中に集中すればできるだろうと考えていたが、美術館へ予備の楽譜を追加で置いてくる用事が増えたことと、考えてみたら本番中譜面灯が必要なのではないかという気持に捕われてやっぱり少しソワソワしてしまった。銀座のYAMAHAには譜面灯があることがわかり、ぎりぎりの時間でホテルを出た。プログラミングはあとは会場で微調整することに。まずは美術館まで行って係の方に楽譜の予備をお渡しし、急いで銀座へ。と思ったら会場で名古屋パルルの新見さんと偶然の再会。すぐに行かないといけなかったので持っていた楽譜を一冊差し上げるのがやっとだった。
外はよく晴れていた。関東の冬というのはたぶんいつもこういう感じなのだろう。空気は冷たい。太陽は照っている。そこから何とも言いようのない寂しさを感じるのは、私の育った環境とあまりに違うからだろうか。



譜面灯も無事四つ買え、急いでホテルに戻りスーツに着替えて機材を持った。ぎりぎりアウト、10分弱遅れて赤坂のスタジオに着き、挨拶もそこそこにリハーサルの準備をした。クラリネットの伊藤めぐみさんと櫻田はるかさん、そしてオーボエの山口裕加さんとは2013年のアサヒ・アートスクエア以来だから2年近い時間が経過している。皆さんそれぞれにご活躍だし、忙しいながらも落ち着きを持って演奏活動を続けられている様子は知っていた。今回も演奏に向かうのには悪くない集中力を皆変わらず持ち続けてくれているようで嬉しかった。私の準備中に、濱地潤一さんの特殊奏法(《BUNDLE IMPACTOR》ではこれが多用される)についての質問などが話題になっていた。濱地さんも笑顔で答えられていた。皆真剣に質問するし各自の楽器でできるかなど可能性を探っている様子が何とも良かった。
この曲もシステム的には問題なさそうだったので早めに切り上げる。会場が16時から入れるということだったのでもう移動することにした。タクシーを2台で移動して各車1000円で到着するくらいの距離だった。会場ではスピーカを6台(希望は出していた)用意してくれており大変ありがたかった。この日は演奏としての発表が私達だけということもありリハーサルの時間も充分に使わせてもらった。イベントのトークには三輪眞弘さん、21世紀美術館の鷲田めるろさん、運営委員の建畠哲さんが登壇予定で、リハーサル終了後会場に来ていた三輪さんと鷲田さんに挨拶。トークの打ち合わせなどを少しした。三輪さんからは、福島君の作品は所謂現代音楽の作品とは立場が違うと感じるんだけどそこを聞くからね、と言われた。




その後、会場が開くまで40分ほどあったから我々6人は近くのコーヒー屋さんで軽く食事をすることにした。あまりゆっくりとした時間があるわけではなかったし、本番前であまり食欲も出なかったけれどみんなとあれこれ話をするのは悪くなかった。オーボエの山口裕加さんは1年くらい前にロシアでの演奏会でピアニストの石井朋子さんとお会いしている、という事実について話も広がった。濱地さんが話を振ったようだ。以前、山口さんがその演奏会の様子をSNSに挙げていて、その中の写真を見て私は知り、驚いたので濱地さんにもお伝えしていたことだった。少なくとも私や濱地さんにとっては大変面白い事実として印象に残っていたのだった。山口さんが石井さんの印象を熱っぽく語るのも何となく良かったし、濱地さんも石井さんの新潟での人気ぶりなどを話されていた。
先に少し1人で会場に戻ることにして、様子をみた。週末ということもあり、今日のイベントは定員250人の予約は入っているという。実際かなりの人数になっていた。五島さんの受賞作のプレゼンのあと、2番目に私たちの発表だった。曲順は《patrinia yellow》for Clarinet and computerを1曲目、次に《BUNDLE IMPACTOR》にしてあった。曲順は迷っていたが、前回のリハーサルで鈴木生子さんがもっと柔らかく吹いてみたい、と仰っていたのでそうであれば曲順はこうしかないだろうという決断をした。美術館で展示されている《patrinia yellow》の音を聴き、自身のクラリネットの音が固いなと感じたのだそうだ。実際、展示で使われている音は初演に向けてやり取りをしていた時に、音符が並んですぐに録音してもらったものを使用している。その時点で鈴木さんは作品の全容は知らない時のものでもあるから、どのように吹くべきかも分かるはずもないことなのだが。それを踏まえて今回は柔らかく吹きたい、と意識を強くされている様子に私はすっかり感銘を受けてしまった。ただ、それが実際どれだけの変化があるかはやってみるまで分からないと思いつつ、本番を迎えた。最初、スピーカからのノイズがいつもと違って気になったのと、4ch出力になっているかどうかがステージの私の位置からは分かりにくく、不安にもなったが、おそらく大丈夫という気にもなって少しずつ演奏に集中していった。鈴木さんのクラリネットの音色は素晴らしかった。コンピュータ処理の結果としても驚くべき変化として現れたことはここに記しておこうと思う。
《BUNDLE IMPACTOR》はお客さんが多かったこともあり、濱地さんのスペースがリハーサル時より少なく(お客さんの目の前で吹くという感じだった)アルト・サクソフォンの楽器は若干ステージ側に向くことになった。そのためかリハよりもアルト・サクソフォンの音が私のところまで良く届いた。結果的に中央のクラリネット2本とオーボエのアンサンブルとの間に生じる響きや時間の拮抗が全体として捉えられてよく伝わってきた。観客に届いていたかは私の位置からは分からないが、少なくとも2つの時間軸が錯綜するスリリングな響きの場というものは生まれていたと思う。奏者の皆さんのおかげで《patrinia yellow》の日本初演、《BUNDLE IMPACTOR》の再演は無事に終わった。あらためて感謝したい。
イベントの後半で審査委員の方との質疑応答があった。二日前に感じていた「人のためのプログラム」についての魅力や違和感とか、それに導かれるような人間感情で成り立つ場とかについて、自分の好む方向性はそのようなものとは全く違うのではないか、ということだけははっきり感じられもしていたが、そういうニュアンスをどう短時間に言葉にできるのかは直前になってもよくまとまっていなかった。結局まとめることなどできない形で答えていくしかなく、しかしいくつかの質問も大きく話を逸脱させないような配慮も審査員側から感じられ、ありがたく自由に答えさせてもらった。
 ある瞬間にふとついて出た言葉は「(音楽を)人のために作っていない。」だった。

出番が終わり、後はリラックスして会を眺めていた。
奏者の方たちには再三、かなりアウェイの場での発表になりますからそういうものだと思ってください、と伝えていたのだけれど、想像していたよりも知人友人も集まってくれて励みになった。特に映像作家の土居哲真さんとは丁度1年ぶりの再会ができたし、高橋悠さん香苗さんは新潟から再び足を運んでくださった。Mikkyozの遠藤龍さんも新潟から。映像作家の前田真二郎さんにも先月に引き続きお会いできた。作曲家の桑原ゆうさんには本当に久しぶりに演奏を聴いていただけて光栄だった。《変容の対象》の初期に楽譜の浄書を行ってくださった唐沢貴美穂さんも足を運んでくれた。IAMAS時代の先輩 乾 櫻子さんとも久しぶりにお話でき嬉しかった。他にもご挨拶できた方、できなかった方。とにかくなんとか無事に終えられた事に感謝してこの日は終えられそうだった。後はだんだん記憶も朧げになる。

2月7日:朝、両親とホテルのレストランで集合。少し遅れたので両親はほとんど食べ終わっていた。父が新潟に帰る前に乃木神社に寄って行きたいと言う。私の用事はもう済んだのでそれは全くかまわなかった。確か、ホテルから美術館へ歩いている時にいつも目に入っていた神社だな、とも思った。なぜかと聞くと、父が自分の父親(私からしたら祖父)に、「尊敬する人物は誰か」と生前に聞いたことがり、「乃木 希典(のぎ まれすけ)」と答えたのを昨晩ふっと思い出したのだと言う。乃木神社はその「乃木 希典」が祀られているのだそうだ。父がなぜそれを今のタイミングで思い出したのかは分からないが、父にとっても父親の存在があり、そんな風に思い出すことがあるのだな、という当たり前のことかもしれないが普段あまり意識しない感覚を覚えた。



訪れると乃木神社では丁度神前結婚式も行われていた。もう梅が咲いていた。
新国立美術館での展示内容で作品紹介動画の差し替え(3Dプリントした中央スピーカへの説明を加えたバージョンを高橋香苗さんに編集を頼んであった。迅速に対応していただいた。)データを入れたUSBメモリースティックを届け、あとは新潟に帰るだけとなった。スーツケースは機材やその他で大変に重かったがあまり苦にならなかった。新幹線の席で少しウトウトしたらもう新潟県に入っていた。うっかり寝てしまったのが原因か一気に身体が重くなり、さっきまで運べていたスーツケースが最早上手く運べなくなってしまい不思議に思った。

(2015年中に記す)

(一部を2016年2月29日に訂正す)