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総括文
《変容の対象》2023年 


 ___(2023年の1年間の総括)

 2023年は私にとって決して穏やかな1年間ではなかった。様々な焦りから2023年の初めに色々と踠いて行なったことのほとんどは芽を出すことはなかった。何か思考が晴れることはなく、気持ちも落ち込むことが多くなっていた。そんな中でも、これだけは行うべきだと考えて進めたものはいくつかある。2022年に初演した作品の楽譜化できる部分の楽譜化(『《 I 》尺八とコンピュータのための(2022) 』)、8月に初演するための新曲の作曲(『《主題と変奏》尺八とコンピュータのための(2023)』(楽譜は未完))、年末には慣れない編曲の作業もあった。それらの三つの作業はどれもやり終えるためにはかなりの気力が必要だったものの、苦労しながらも完成させることができたという意味で安堵と共に充実した実感がある。個人の製作で大きなところはその三つだが、それ以外にもいくつかの心に残る創作に関わる出来事もあった。一年の中で3つの作業というのは決して多くはないはずだが、COVID-19の影響下にあった数年を経て世の中も動き出した実感を強く持つ中で、思考も含めた基礎体力がだいぶ弱っていることを感じてもいて、心身共に立て直しを図る一年だったのではないかと感じている。

 日常生活においても大きな環境の変化があった。約5年お世話になったG.F.G.S.を離れ、岐阜県のIAMAS RCICへ9月から配属が決まったことは生活面で大変大きな変化となった。新潟と岐阜を行き来する単身赴任生活は、既に決まっていた11月までの週末の予定とも関係してほぼ毎週週末は新潟ということになったが、身体は忙しくとも徐々に気分は前向きになっていった。環境の変わる直前、8月は上旬に家族でコロナ陽性となり病み上がりで《主題と変奏》だけは完成させるということになったのだけれど、作曲以外で抱えていた作業は何も手につかなくなり色々と諦めることにもなった。生活面では大きな行き詰まりを感じた。これまでの《変容の対象》の各曲を後から分析すると、曲の前半と後半で大きく断絶のあるものが散見される。前半の文脈からは予期できない、全く異なる文脈が、唐突に根本的な変化となって生じるのである。あまり私生活では変化を良しとしない自分にとっては、こうした変化を選ばざるを得ない、気力体力ともに大きな行き詰まりを感じた1年であったとも言えるだろう。2023年の1年間は私にとって8−9月を境に分断された大きな変化の1年であった。

そのような1年の中で《変容の対象》の作曲は続けられた。


□ 一年の活動に関する事柄

1月:池田泰教さん筆頭の研究対象として設置版の2曲を提供。(《patrinia yellow》、《春、十五葉》)

2月:有村肯弥さんのprojectに参加、楽曲を提供。
 《 Fragments 》
 ▪ Concept, Lyrics, Voice, Narration, Design and Video editing by Kohya Arimura
 ▪ Photography by Tomoyuki Sugiyama
 ▪ Image correction cooperation by Hiroyuki Nagashima
 ▪ Composed and Arranged by Satoshi Fukushima
 ▪ Conceptual statement

2月:「ジャン-フランソワ・ゲリー展」(回顧展のため過去作展示)(映像:遠藤龍、音:福島諭)@砂丘館(新潟)

2月:Mimizによるネットワーク配信を使用したセッション発表『NEMC 2023』@オンライン

6月:『森の音楽会 Act.1』(野外、4chを使用した即興演奏)@向谷山荘(新潟) 

8月:Experimental Rooms #37 《主題と変奏》初演 (佐渡アースセレブレーション関連企画) (新潟県佐渡市)

9月:竹林の中での光を用いたインスタレーションに楽曲提供(尺八:福島麗秋、録音編集+展示アイディア:福島諭)

9月:新潟大学での集中講義

10月:山形国際ドキュメンタリー映画祭 前田真二郎監督作品『日々”hibi”AUG』に楽曲提供(インターナショナル•コンペティション部門選出)(山形)

11月:ExperimentalRooms#40にて設置版《主題と変奏》と共に《主題と変奏》の実演を交えた演奏を行う。
@旧第四銀行住吉町支店
(会場設計+スピーカーオブジェクト:高橋悠、尺八:福島麗秋、コンセプト/プログラミング/演奏:福島諭)

12月:『TongPoo』編曲版の楽譜製作
(『J-TRAD Ensemble MAHOROBA Concert~ 春海の頌歌 ~』
川口総合文化センター・リリア・音楽ホール 2024年1月20日(土) 初演)(埼玉)


____(《変容の対象》2023年版の総括)

2023年の12ヶ月の各曲の特徴として何が語れるだろうか。

 作曲の頻度:12ヶ月分の有効な小節数の合計は約144小節で、ひと月の平均は12小節ということになる。《変容の対象》の場合は1小節に含まれる拍数が長い場合がほとんどなので、この「平均12小節」が指し示すものは曲自体の長さではなく、福島と濱地でやりとりをした楽譜データの回数に対応する。ひとりの換算でひと月に平均6回作曲を行い、相手に送っていることになる。つまり、平均して5日に一回は相手に送っている頻度であるが、これは実感としても大きく外れてはいない。もちろん、実際の頻度は作曲の内容によって早まったり遅くなったりはするのであるが。《変容の対象》において、ひとりが平均5日に一回相手に送るという頻度は、ここ数年のやりとりを振り返っても極めて平均的な間隔だと思う。私にとって2023年は私生活で大きな変化があったことは先述したが、日常生活からの影響は少なくとも頻度に関しては大きな影響は受けなかったようだ。

 サクソフォンの指定:2023年、一つ特徴的なところがあるとすれば楽器の指定かもしれない。1月から7月までが全てアルト指定になっている。どのような理由でここまで連続したかは定かでは無い。基本的にこの楽器の指定は、各月で第1小節を書く者が行うことになっているが、特に変更を要求されたことも無かったし、少なくとも私は無自覚だった。

 12曲の特徴:全体を通した印象であるが、ピアノに関して言えば前半は内向的なアプローチが多い。特に2月は楽譜に書き留めることの多くなっていたモチーフを多用しており、響き移ろいは細かい部分まで意識が向いているが、サクソフォンとの対話を重視しているとは言えない。そうしたピアノに対して2月のサクソフォンはただじっと寄り添ってくれたかのように聴こえる。その後もピアノの動機はあまり大きな高揚を示すことはない。9月以降、少しずつではあるが新たな要素を取り入れるような動きが芽生え始めている。特に9月後半のディレイ効果を取り入れたアプローチはこれまでほとんど行われてこなかったことである。11月は四分音符=300という設定の異常さから、互いの干渉しないというスタイルが暗黙のうちに成立した。そして、それは2009年の1月と2月と図らずもリンクするものであった。12月はまた、11月のアプローチの影響を受けながらも新たな形を模索したように感じられる。結果に現れているかは定かではないが、少なくとも作曲途中においてはこれまでの経験を踏み越えるものを探そうとアプローチしていたし、そのような気持ちで取り組むのは数年振りというような気もした。


___(各月の分析)

1月:
 八分音符の三連符がリズム動機として終始支配する。これは濱地からの第1小節目冒頭のリズムをピアノが受け継いでいることでその後の方向性が決定したとも言える。ピアノは低音域を使用したものだが、和声的には明確な個性を持つものでもあり、濱地からの旋律にうまく答えたというよりはやや強引に当てはめた返答だと言えよう。今であれば、他の可能性を選択するかもしれない。7小節目冒頭の休符を起点に前後で音楽的性質が異なるものとなっているが、それほど大きくは変化しない。7小節目のピアノ左手に表れる8分音符の3連符が3つ繋がるリズム動機は8小節目にも現れるが、これは8小節目のサクソフォンにも受け継がれる。そのようなやりとりからして互いに協調する姿勢は強く持っている月ではあろうが、ピアノの響き自体はここでしかないというような独自の響にはなっていない。その意味で月並みな印象を持つ。

2月:
 冒頭の提示は福島から。2023年に入ってからピアノの響きを手書きで五線譜にスケッチすることが増えていた。そのスケッチの中にあったものを土台にして冒頭の第一小節を書いたと記憶している。濱地からの返答は八分音符の三連符からなるF-E-Eの音組織が間を開けて提示されていくものだった。この一ヶ月はその状態がいつ崩れるかという緊張感を保ちながら進めたと記憶している。結局、濱地のそのアプローチは終始一貫して変わることはなかった。ピアノの響が大きく動き出すのは6小節目からである。そこからもサクソフォンは並置的に動きを変えなかった。そのため、この2月の曲は、動く層と動かない層とのコントラストによって成り立っている。

3月:
 濱地からの冒頭の提示に対してピアノの応答を随分悩んだのを覚えている。その動機の先にはどこかJazzの文脈に繋がるようなものが感じられたし、自分自身がそれに充分に答えるだけの感性がないようにも感じたからでもある。結局ピアノの左手には跳ねるようなリズム動機を採用したが、最初に提示された動機から求められたものに完全に答えることはできなかった。その後、このサクソフォンの動機は何度も断片的にリフレインされることから、濱地のアプローチの中でもこの動機への位置付け、重要度が伺われる。
 そのような中、6小節目のピアノに現れる新たな動機は楽曲の後半の展開に作用するものとなっていく。楽曲後半は、冒頭の動機、跳ねるリズム動機の展開に合わせて、この6小節目からの新たな動機の組み合わせも合わさり要素が複雑に入り組むものとなる。サクソフォンは最終的に冒頭の動機を再現するまでは新たな切り口で旋律を埋めている。ピアノのアプローチで見れば大きく2場面に分かれるが、サクソフォンは中盤以降の新たな組織以外は冒頭の動機の展開・バリエーションを行っている。このようにして、ピアノとサクソフォンのアプローチは親和的でありながらも両者は異なる視点で進行しており、全体的には捻れの展開を持つような結果になっている。

4月:
 福島からの冒頭和音の定時に濱地は自由な旋律で返答している。ピアノもサクソフォンも回帰的な素振りは見せずに進む。楽曲を通して支配的な動機や要素もほとんどない。5小節目からはやや互いへの配慮は薄くなる。それぞれの文脈において並置的に展開していく場面がある。しかし、それも6小節目からは解消され、新たな姿で互いに関わりを持って進行していく。終盤はサクソフォンのトリルが乱れ飛ぶ。珍しいことだが、楽曲の終止を決めたのはピアノだった。

5月:
 濱地からのシステマチックな動機に対して、音の隙間を生かした返答を行なっているピアノ。この冒頭のやりとりで楽曲の音数や間を活かした方向性は決まった。4小節目終わりに現れるピアノの三連符の動機をサクソフォンが受け取り4小節目冒頭から密度を上げていく。動機はそもそも冒頭から存在していたからなのか、5小節目からはピアノにそのリズム動機が浸透するような応答が見られる。休符を活かした響きの停止が全体を支配しているとも言えるが、これも冒頭の1小節目のやりとりで決定したものである。そう考えると刹那的に終止するこの曲の終わり方は必然でもあるだろう。

6月:
 福島からの動機はそれ自体で閉じている部分が多く、サクソフォンの介入をあまり意識しているものとは言えない。この頃、8月に予定されていた尺八とコンピュータの為の新作のためにリディア旋法の音階を用いて可能性を探っている頃だったこととも無関係ではないだろう。冒頭の動機に対して濱地の応答は極めて親和的なものだ。ピアノの世界を崩すことなく、トリルの要素を散在させている。6小節目で濱地は動きをもたらす。しかし、ピアノは大きくは反応せずそれまでの文脈を重視する。互いに並置的な様相になるが次の小節からは新たな形で結びつき終止に向かう。

7月:
 濱地からの冒頭の第一動機にピアノは極めて類似した動機を重ねている。3小節目まではそのまま進んでいくが、3-4小節目の濱地からの返答で事態は一変する。おそらく先月のピアノの姿勢と似たものを感じ取られたのかもしれない。6月と同じ方向性になる可能性を避け、4小節目からのサクソフォンは動きのないパルスに転じる。ピアノは徐々にそのパルスを受け入れるような音価の長いアプローチに融解していく。7小節目にサクソフォンの動きが再開されたのを受けてピアノは終止に向かう。全体としてはうまく辻褄があっているようでもあるが、ピアノにとっては濱地からの意思を強く受けた月でもあった。冒頭の1小節目が40拍という長いものではあったけれど、充分な返答にはなっていなかったのかもしれない。4-5小節目での濱地のアプローチ、それまでの文脈からの離脱は、冒頭からの流れを執拗に維持しようとした私自身の作曲姿勢に対する示唆にもなっていた。

8月:
 福島からの冒頭第一動機は左手のリズム動機と右手の旋律的なアプローチが明確に提示されている。テナーは低音を支えるような返答で開始された。ピアノは3小節目になると冒頭に提示したリズム動機を維持することができない。音価を増やす中でサクソフォンの音を埋める余地も生まれてきたかもしれない。しかし、結局、ピアノがうまく全体を方向付けできなかったという印象が残る作品となった。
 後半から終盤はそれぞれがそれぞれのアプローチを続ける並置的なスタイルとなり、音楽的には模索し、踠くような状態が続く。8小節目で音楽的には収束してしまうが、9小節目は濱地からの付点四分音符で4拍分(8分音符で12拍)の休符が与えられた。ピアノはここまでの責任を取るように最後の終止符を打つ形となった。

9月:
 濱地からの動機に対して、ピアノは素直には返答していないと思う。冒頭の2音の仕草が以前の《変容の対象》の場面を想起させる強い印象があり、その印象に対して大きく感触の異なるものを選択したように記憶している。ここでもピアノの左手はリズム動機となるようなものを選んでいるのは何故なのか分からない。サクソフォンは自由に音を選んでいるようでもあるが、3小節目からDelayと指示をあえて入れるアプローチを登場させている。結局、これが起点となり、ピアノの中にも細かな動機が取り込まれていく。結果的には動機のサンプリング、反復、カットアップのような要素が集まって後半部分は構成されるものとなった。和声的には不協和的である部分も多いが、新たな語法で構成していこうとする意思が強くなっていく。その意味では互いに共創的な意識で作曲は行われたと言える。

10月:
 福島からの第1小節目の提示に対して、濱地の返答には強いモチーフが含まれていた。具体的にはサクソフォンの最初の5音である。[E、A、H、C、F]の組織はその後のピアノにも受け継がれることになる(2小節目、9小節目)。この月は濱地のサクソフォンのアプローチが多様に変化していく。そのために全体的な印象は直線的な構造を持つように感じられるが、ピアノは先に挙げたモチーフの取り込みなど回帰的に振舞ってもいる。その辺りで完全に両者の意思が一致しているとは限らない。そのほかにもピアノは八分音符の3連のリズム、そしてサクソフォンにはさらに音価を短くした3連のリズム動機が散在する。6-7小節目のサクソフォンは実質的に旋律的な進行を停止しリズムに徹するようになる。それを受けてピアノは場面を変えた。3連のリズム動機が活きてくるのはここからだ。その後は再現部的に振る舞うピアノと新たなモチーフを続けるサクソフォンで方向を異なるままに終止へ向かう。

11月:
 濱地からの冒頭の提示はかなり特殊なものであった。テンポの指定が四分音符=300ということで、常識的な範囲に納まっていない。譜面上はそれほどの威圧感はないにしても、演奏の際にはかなりの高密度で音が並ぶことになる。最初はいつものように提示された1小節目に対してピアノを充てようとしたのだが、勝手が異なるためかどうやってもうまくいかず、遂には音を並べることができなかった。そこで、頭に浮かんだのは《変容の対象》の最初期、2009年の二ヶ月間のように相手の小節には干渉しないでピアノの音を置く、というものだった。最後までそれで貫くかは保留とし、まずは2小節目を書き返答した。(後日談としては、これは全く濱地さんの狙い通りだったようである。大きく転調しているわけでもないのに、ピアノの組織を拒む旋律を作るというのも特殊な能力のように感じた。)
 やりとりを続ける中で、ピアノをサクソフォンに交わらせることができるのか、できるとすればそれはいつか、を考え続けた。冒頭から7拍で小節が区切られていたので、12小節目をあえて14拍とそれまでの2倍の長さとし、相手からの反応を待った。7拍区切りを重視するのであれば、12小節目の後半からはサクソフォンが鳴らされるべきであろう。しかし、濱地からの返答は全休符によるものだった。この小節を界に、少なくとも相手は自分の小節に介入しない方向で進めるつもりなのだと感じた。13小節目が15拍の指定で返答されたことが、自分としては少し気になり、そのあとはトータルで拍が7の倍数になるように返答していこうと決めた。つまり、13-14小節目ではトータル14拍となるように考え、14小節目は6拍とし、15-16小節も同様に14拍とするために16小節目を8拍に設定している。以降も同様。11月30日の最終日に、20小節目を4拍の全休符で返答して終止した。

12月:
 冒頭は福島から。11月の経験が自分なりにかなり新鮮に思えたため、最終月もその影響下にあったように記憶している。何かこれまでの《変容の対象》のアプローチに安住することの無い、新たなアプローチはまだあるのではないか。そんな気はしていた。
 書き始める少し前にMIDIキーボードの鍵盤を両手でなぞった時の音を書いた。長く書く必要性も感じず、4拍のみの動機とした。その後も自分から書き足す小節については2和音が高いところから低いところへ移るというそれだけの動機を書くようにている。濱地からの冒頭への返答が1小節目の終盤に音が入れ込んだものだったので、今月は相手の小節へピアノも書こうと決めたが、結果的には上手くはいかなかった。8小節目で全休符にしてみて、やはりこちらの方が正解だったように感じた。
 10小節目の濱地からの提示が謎めいていたので、ここでは音数を少なくし、ペダルを踏み続ける指示を行なった。実際に演奏されればサクソフォンの音にもピアノは共鳴するだろう。その後は互いの響きにあまり干渉しない書法が続き、さらにピアノのペダルを用いた音響的なにじみを促すものも多用された。18小節目の最後の一拍分のところで、ピアノのペダルを止める指示は、最後の一拍分だけサクソフォンからの共鳴を無くさせる意図がある。室内楽に適した空間であればある一定の効果は期待できるだろう。そこだけ我にかえるような表現になれば良いと思っている。大晦日の夕方に楽曲は終止した。


2024年1月15日 – 2月2日
新潟、岐阜にて記す。福島諭












2023年 《変容の対象》総括文

自分だけが分かっているであろうこと、、、に全ての時間を捧げる。この領域に関しては、他者に理解を期待するのは難しい。クリエイティビティの内実に於いて、自身が手にした札だけに掛けることこそ、この限られた時間のなかで赦された唯一のことでは無いか。その札は言語化出来ない。だから誰にも伝えることはできない、、、というような何処かの小説の登場人物が語るような(そういう小説でもあれば嬉々として愛読するだろう)ことをつい夢想したりする。で、それは案外私の現在の心象を的確に表しているような気がするのだ。

   具体的にはその分かっているであろうことの一つの結節点が私の図形楽譜作品に現れている。イアマスのスタジオで前田真二郎さん録音(このスタジオワークは前田さんの発案で2021年に行われた)のもと、pianoに福島諭さんを自分が指名して自身のsaxophoneと録音されたその作品集には、この表現手段でしか表出され得ない音韻、音響情報を含む、それ以外の全ての要素、とりわけその抽象表現の領域におけるある種の固有の(ここが言語化困難な領域を孕んでいる)構造化を可能にしているのは図形楽譜と、演奏家のヴィジョナ(造語 演奏家の積み上げて来た記憶の総量)であり、何故あのような演奏が可能かは作曲家、あるいは演奏家でしかわからない。その時用意された図形楽譜は完全に図形のみのもの数作と、1作品は五線譜に記された音組織のチャートを図形楽譜と同時に読むものがあり、それらはほぼ同時期に書かれた。2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナルコンペティションで上映された前田真二郎監督の《日々“hibi” AUG》に使用された作品は、その図形楽譜と音組織を同時に読む作品で、前述のイアマスのスタジオで録音されたものだ。

その作品の内部から指し示されたもの。それこそが自分の捧げるべきものだということだ。

2023年の総括を始めよう。

1月 動機は自分から。非常に濃密なインタープレイが展開されていて、両者のヴィジョンが明確だったことがわかる。自分に関して言えば、楽器を実際に演奏している時の状態に近い組織の編まれ方をしている。インタープレイは反応が全てだと言ってみて、その反応を支えているのは当事者の背後にある「使われた時間」であり、また本来持って生まれた特性を研磨した発露である。変容は時にこの作品のような現象を鮮明に記すことがあって、変容の大元の概念がはっきりとここにはあって、恐らくは当時の自分も「即興を拡張した時間軸に置いて五線譜に記す」と言ったような制限の元(ルールとも言う)頭脳の中で起こることの一つの証左とも読めた。

2月 動機は福島さんから。非常に美しい作品でこの深い内省感は福島さんの持つ特性の表出と言える。自分は最初に着想したもののみ使用して最後までそれを変えていない。1月の作品の後にこの作品が目の前に現れたのには今見れば少し意表を突かれるようなショックを誘発するような感情の動きもあって、面白く思えた。この作品はピアニストの山内敦子さんとサクソフォンは誰か相応しい方との演奏で聴いてみたいと思った。

3月 動機は自分から。bluesのモチーフの引用から、それがどうなるか実験しているのが明らかで、それ以外は特に記すべきことはない。今思えばもう少しbluesの手法を様々なヴァリエーションで機能させるように手を加えることも出来たのではないかと思うが、当時は他に着想の枝が伸びていたのだろうと推察する。

4月 動機は福島さん。その福島さんの動機への自分の返答がうまくない。ほとんどそれに尽きるとは思うが、自分の組織がそれに引っ張られて後の組織も何か焦点を失って見える。

5月 動機は自分から。3連譜のモチーフのヴァリエーションは明らかな狙いがあったとは思うが、今は全く思い出せない。けれど、中盤から後半にかけての福島さんの組織からうかがえる反応を見ると互いの焦点は4月とは変わって陰ってはいない。自分からの動機になるとこう言った楽想が生じやすいのか、、、とふと思った。

6月 動機は福島さんから。5小節目まではあまり際立った動きはなく進む。6小節目からの福島さんの組織への自分のアプローチは7,8小節目への「乖離した組織体」への仕掛けであろうけれど、うまく言っているのかはちょっとわからない。提示された組織への意図した「全く別の楽想を同時に走らせる」と言う試みは未だ上手く行った試しがなく、いつも宙ぶらりんで終わる。それより意図せずに起こる「全く別の楽想が走ったような現象」の方が生命を持ったように見えるのは何故なのだろう。

7月 動機は自分から。1月から見ていくと、ここまで自分の動機の月は多分同じような目的を持って書かれていることが分かる。同じ目的という明確なものでは無いにしても月毎に新しいアプローチを模索するような過去の作品群にあるような心理的な動きでは無いような気がする。ここでも短いモチーフの援用がとられていて、そういった興味が半年ほど続いていたのかもしれない。あるいは何も考えてなかったのかもしれないが、そういうわけでも無いだろう、、、自分の性格的に。中盤の裏拍のEs音の連続体はかなり意識的に採用しているのが分かる。一貫して福島さんの反応は良い。こういった同音の連続体が現れるアプローチには多分自分のフェティッシュの傾向も否定し難い。何れにしても自分サイドの動機の作品はかなり即興という「概念」を改めて意識して書かれているからこうなっているのだろうと1月から7月のこの時点では思った。

8月 動機は福島さんから。全体的に福島さんの提示する楽想に添って展開はされている。カットアップのような痙攣的な3連譜のショートモチーフはその後にどう機能するかは最初には分かっていない。大きな機能を果たすのではなく、あくまでも福島さん側の楽想に添って最後まで進んでいる感じだ。その意味で最後まで楽想は維持されている。

9月  動機は自分から。この月も他の月と同様の、似たような概念で動機は書かれている。23年はそういう年なのかもしれない。はっきり分かるのは楽器を持った状態に近い感覚で書いていることで、福島さんの組織も割とそれに準じているような印象だ。このような方法を取れば一定の成果は現れるようには変容はなっているというのが分かる作品でもある。

10月 動機は福島さんから。全体はこれも福島さんの楽想に添って展開されている。細かな仕掛けは埋め込まれているが、大きく侵食することなく、進む。中盤以降の同じ組織の連打もほぼ楽想の範疇にある。最後のモチーフを使った音量の指定は今まであまり敢えてしていなかった指示だが、そろそろそういうような細かな指示もある局面では必要になってきていて、これもその表れだ。

11月 動機は自分から。結果的に変容の対象の最初期2009年1月2月と同じ構造の作品になった。完全に交互に編まれて行く方式で、ただ、前もってこうしませんかと相談したわけでは無い。価値ある作品。機会があれば自分でも演奏したいと思う。こういう作品は。

12月 動機は福島さんから。動機からは今年の全体的な印象をなめらかに引き継ぐもののような印象だが、全体としては統制の取れたというか、制御の効いたというか、そういった小気味良さがあり、特に中盤の展開からは非常に良く抑制が効いていて、だから全体の印象もすっきりと纏まっているように思う。

2024年3月3日和歌山県田辺市にて記す。濱地潤一