+   《変容の対象》2019年版


楽譜 / scores
※楽譜のsaxophoneパートは全て In C 表記。
サンプル音源 / sound sample

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総括 / summary +

 作曲: 福島諭 + 濱地潤一


+ 福島諭より

《変容の対象》2019年版総括文


2020年3月3日(火)現在、新潟でもコロナウィルスの感染確認者が5名となる事態となり3月中に予定されていたイベント等は軒並み中止か延期の知らせが届いている。数日前(2/29)に自分も関わった《周辺の音楽》- 星野真人 experimental rooms -では、主催者側のマスク着用などを報告する事前アナウンスが行われる中での異例の開催となった。開催日前日の2/28(金)の時点では新潟県内では感染者報告が無かったということもあるが、週明けから全国の小中学校・高校で一斉休校の要請が政府から出るなどのこともあり何か落ち着かないものがあった。さらにイベント当日の2/29(土)に新潟県内で初の1人目の感染者が報告された。開催すべきだったかどうかは未だに考えている所でもある。
 主催者側と出演者の星野真人さんは開催の方向で気持ちを伝えてくださった。予定には無かったが急遽ギターとオーディオインターフェイスを持参してイベントの休憩時間には少し演奏させてもらった。
 同じ時間を同じ空間でともにするということの意味がやはり大きく変わりつつあるという気がした。意外なことにイベント自体の来場者数は通常を下回るということはなく、皆マスク着用でお越しになってくださった。主催者側のGallery 3+4 Creativeの寺田雄一さんはアルコール消毒を事前に用意してくださっていた。各自が可能な限り最善を尽くしながら、それでもイベントを決行し星野真人さんの話に耳を傾けたという事実に居合わせて、個人的にはそれ自体に深く感じ入るものがあり、また、星野真人さんの14年あまり続けてこられたexperimental roomsを俯瞰しながら音楽的な「時間」と「場」いうものをあらためて考えさせられた1日だった。
2019年の年末からここまで様々な案件が重なってなかなか落ち着いて《変容の対象》の総括文を書くタイミングが持てなかった。濱地潤一さんも今年はまだ書いていない、と先日名古屋で再会した際は仰っていた。
 《変容の対象》2019年の全体的な印象としては、おおよそは濱地潤一さんとの間でも話しだけはなされていて方向性は共有している。2018年の一年が12曲を通してあまりバリエーションが無く、同じようなアプローチが惰性的に続いたという印象があり、その反省を踏まえた改善がどちらともいうこともなく作用した1年だったように感じられている。各曲を詳しく聴き返すのはこれからとなるので聴いてみたら大して変わらない、という結果もあり得るかもしれないが少なくとも作曲中は各月が終わる毎に、濱地さんと、今月も新鮮な響きに行けた気がします、というような確認・やりとりをしていたのが思い出される。
 《変容の対象》の作曲作業とは別に2019年の大きな出来事としては、8月に開催された第22回日本電子音楽協会の定期演奏会だろう。会場がりゅーとぴあの能楽堂で実質的に運営側と出品者としての両方を掛け持つことになり自分の限界を感じた大きなイベントだった。2019年の前半はそれへ向けての準備段階となり、それを経た8月の本番後は様々なことの整理・立て直し期間となった。助成金の申請・報告などは不慣れな所も多く、7月頃からはJSEM新潟支部の田口雅之さんや廣木勇人さんのサポートも力強く後押しくださり何とか無事に終えられた気持ちだったものの、細かな所ではいくつか改善点も感じられた。次回に活かせればと感じている。
 また、7月28日には映像作家・前田真二郎氏の映像作品『日々”hibi”AUG』の10作と、《変容の対象》の2009年から2018年までの8月の10作品を集めて映像切り替えもリアルタイムで行う室内アンサンブルの試演が行われた。IAMAS OPEN HOUSE 2019 公式イベントとして『日々《変容の対象》AUG 2009-2018 上演プロジェクト』という形で行われたことは2020年現在まで続く動きとして《変容の対象》としても大きなものだった。作品の根幹には《変容の対象》の楽譜が存在し、それを軸に演奏と映像の切り替えが行われるという、実質的にはメディアを横断したアンサンブルになっている。IAMASタイムベースドメディア・プロジェクトの一貫で製作という形で《変容の対象》の濱地・福島としては演奏者への清書楽譜提供や作曲意図の共有がメインで、作曲者としての関われたことは本当に幸運だった。あらためてメディア芸術を実直に扱うIAMASの底力を感じた、とも言える。2019年7月28日の試演には都合で福島は不参加となり、記録映像のみで後日その様子を共有したという形になったものの、それでも映像送出を含めた奏者のアンサンブルの質の高さは実感できた。

日々《変容の対象》8月[2009-2018]
“hibi”《an object of metamorphose》AUG 2009-2018

クレジット:
作曲:福島 諭+濱地 潤一(変容の対象)
映像:前田 真二郎(日々”hibi”AUG)
ピアノ:山内 敦子
サクソフォン:木村 佳
映像送出:森田 理紗子
システム:津曲 洸太
アドバイザー:三輪 眞弘
企画:IAMAS タイムベースドメディア・プロジェクト


■1月 四分音符=99 ※E-durの調号付き 福島諭からの動機 《変容の対象》では珍しく調号の指定を行っている。E-durはこの頃ピアノを実際に触る際に度々弾いていたためにその名残かもしれないが、調性をぼやかす事の多い《変容の対象》においては異例で、これは福島から濱地さんへのある程度強い意思表示にもなるだろうと当時も予想していた。実際、冒頭からしばらくはE-dur的な調性に納まっている。9小節からはE-durの調性を離れる意識が働き、その後は終止に向けて様々試みられてようやく着地点を見つけるような形になっている。終盤のフォルムにも印象的な箇所がある。
 冒頭のピアノの音域とリズムは音数は少ないが磁場があり最初は良いが上手くそこから抜け出せなくなる場合もある。冒頭の印象から徐々に抜け出すのはお互いの些細なリズム動機の提示が響き合う結果だろう。そういった意味では上手い対話が続いた月だと感じている。

■2月 速度表記なし(シミュレーション音源は四分音符=120) 濱地潤一さんの動機から 冒頭の1小節目が送られてきてから方向性をかなり迷った記憶がある。結果的には分かりやすい低音のリズム動機と右手の長い音価の単音のコンポジションで構成したものを採用し返答している。1小節が長い設定だったのだけれど、途中でこちらから変更は行わなかった。終盤までピアノは右手も左手も単音ずつで構成される。サクソフォンの無調的なあるいは極めて早く転調を繰り返す様子にピアノはぴったりと寄り添ってはいないが、このくらいの距離感が《変容の対象》で培ってきた響きとも感じ、違和感はなく作曲した。終盤でピアノは急速にサクソフォンに接近し終止のタイミングも揃う。あたかも吸い寄せられるような、あるいは落下のような引力を伴って終わる。

■3月 四分音符=70ca. 福島諭からの動機 ピアノの第一動機は四分休符から始まるシンプルなもの、《変容の対象》でも度々登場するような質感のものではあるがその返答としての濱地潤一の、サクソフォンのアプローチがこれまでに無いものになっていると思う。下降のポルタメントを使用した旋律は印象的で、midiのシミュレーション音源では上手く再現されていないところもあるのでそこはご了承いただきたい。何処に進むか分からないながらも一定の質感と量感を維持したまま終止に向かうフォルム全体にも無理は感じられない。実演で聴いてみたい1曲だと感じる。

■4月 四分音符=40 濱地潤一さんからの動機 これまでの流れから一転して濱地潤一さんからの動機には休符が多く、ピアノの動機をどうすべきかしばらく迷ったのを記憶しています。書き送ったピアノの動機は3小節目まで続く流れとなった。4小節目の長い音価は対比的に働いて全体の印象からひとつの頂点を作っているようでもあるが、また冒頭の印象に戻る。その後は間延びするギリギリのラインで終止する、全体的なフォルムのバランスは保っている気がする。ここでも終止には細かな配慮が感じられる。

■5月 四分音符=48 福島諭からの動機 ピアノの動機は機能和声の枠に納まっていると感じられる程度の形を持っている。1小節目の濱地潤一さんからの応答もそれに準じている印象だ。冒頭の印象はやがて解体され長い時間をかけて《周辺の音楽》的な響きに分解されていく。そんな印象を持つ1曲だ。そこまでエントロピーが落ち着くと何時までも続けられるような領域になるが日数の関係だろうか急に終止は訪れる。

■6月 四分音符=165 濱地潤一さんからの動機 先月から一転して早いパッセージの提示がある。ピアノはそれほど新しいアイディアでは応答できていない。点描的な音と持続音の対比的な動機で、停滞と速度を対比させる。5小節目のサクソフォンの連打音を受けて、ピアノにも3連符の動機を導入している。(ピアノの三連符が先行するが、作曲の順序としてはサクソフォンが先に書かれている。)そこからの展開は自由な膨らみがあり何処に留まるか分からない勢いを纏った、展開領域の広い曲となった。

■7月 四分音符=50 福島諭からの動機 ピアノの提示はこれといって珍しさは無い。テンポも一月前から一転して低速になっている。濱地潤一さんからは合間に細かなパッセージを挟み込むものがアクセントにはなっているが、ピアノはどんどん音数は減って勢いを失っていく。8小節目で突如色彩を取り戻すが無かったかのようにそのまま終止する。

■8月 四分音符=240 濱地潤一さんからの動機 速いテンポ設定とサクソフォンのポルタメントの動機に驚いたのを記憶している。この月の前(7月)に、IAMASのOPEN HOUSEで、日々《変容の対象》アンサンブルの試演+録音会が行われた。その際に濱地潤一さんはその場に同席していたから、それが2019年8月の動機を書くモチベーションになったに違いないと当時感じていた。それを受けてピアノも音数の多いリズミックなものを採用した。自分的には濱地さんからの意志に従った形で、同時に2011年8月のアプローチも少し頭の片隅にはよぎっていた。実際はまた別物となったが、2020年2月に実際に名古屋で初演に立ち会えることにもなったのでそういう意味でも近い将来の演奏の可能性と奏者の力量も考慮されたような形になったのではないかと思う。※シミュレーション音源ではポルタメントが反映されていない。

■9月 四分音符=120 福島諭からの動機 前の月の印象をやや引きずるような印象の動機から開始される。濱地潤一さんから5小節目に書かれたトリルがその後のピアノにも響くように現れる形となる。その辺りから新鮮なのリズム感や展開が現れるが時間切れで唐突に終止するような印象になっている。時間の制限が無ければいくらでも続けられそうな印象だったのを記憶している。その意味でも全体のフォルムとしてはバランスは崩れている。

■10月 四分音符=60 濱地潤一さんからの動機 ここへきて濱地潤一さんからの動機はメロディアスなものになっている。ピアノをどのようにすべきか悩んだが機能的なアプローチを採用して1-2小節を書いた。濱地さんからの2-3小節目の動機は2小節目まででひとつのテンションを終えるものになっていて3小節から第2動機の提示といえるほどの変化がある。しかしながらその後は冒頭の動機の変化系が現れる展開となった。印象的な動機の展開が両楽器に断片化して現れてくるものはこれまでの《変容の対象》を見てもありそうでなかったのではないかと感じる。

■11月 四分音符=110 福島諭からの動機 ピアノのベースラインの印象や右手のアプローチなどは他に引用元もありそうと思えるほど自分としては過去の記憶と結びついている。それ故に自分としてはややメランコリックでもある動機だと感じているのだが、濱地潤一さんからのアプローチもそれを阻害するものではなかった。7小節目から濱地さんがこの曲の引力から抜け出そうと仕掛けている(7小節の5音目のCisあたりから)。ピアノもそれに従うように8小節目からアプローチを変えるがその冒頭のみで状態は元に戻る。終止の印象だけが別の世界から来るような唐突な終わり方だ。

■12月 四分音符=70 濱地潤一さんからの動機 重厚な1小節目提示があり、ピアノもそれに従っている。1年の組曲を終える充実感に満ちているようにも感じる。《変容の対象》は当初、12月に重厚な楽曲が来ることが多かった。しかし、中盤からは特にそれを意識するわけでも無く、また意識的に離れようとするかのようなアプローチもあったが、2019年の12月は原点回帰という印象でもあった。楽想は自由に展開し表現の幅も広いフォルムとなっている。9小節目のピアノの2つの連打音の動機が終盤を予感させるように現れるが、やり取りはその後も長めに続いた。丁寧な終止となったのではないかと思う。最後のアルト・サクソフォンのEsのロングトーンはピアノは無く単独で聴くだけの価値が、この楽曲、またこの一年の組曲の最後の一音として置かれていることも価値があると感じる。実際の演奏で確認してみたいところだ。





2019年の主な活動を以下にまとめる。

【演奏会・トークイベント】
●01月14日_即興+(ダンス)箕浦慧@KDjapon(名古屋)
●05月19日_寺宵@正福寺_即興+(ダンス)掘川久子(新潟)
●06月01日_G.F.G.S.関連ライブ@託明寺(新潟、新発田)ゲスト:田口雅之
●06月30日_《一二三松風》尺八とコンピュータそして映像の為の_初演@両国門天ホール(東京)
●07月28日_『日々《変容の対象》8月[2009-2018]』@ IAMAS OPEN HOUSE(福島不参加)(岐阜)
●07月31日_8月のJSEM定期演奏会の広報のためにFMPort出演(with 田口雅之、廣木勇人)
●08月03日_JSEM定期演奏会プレイベント@蔵織(新潟)(with 田口雅之、廣木勇人)
●08月21日_第22回日本電子音楽協会(JSEM)定期演奏会@りゅーとぴあ能楽堂、《一二三松風》改訂初演(新潟)
●10月14日_RGB3@砂丘館(新潟)
●11月02日-2020年年明けまで_G.F.G.S.CD003「NIIGATA WEST COAST MUSIC」制作作業
●11月08日_Mimiz即興@KDjapon(名古屋)
●11月16日_《周辺の音楽》- タンジェントデザインの視点 -(出演:高橋悠 + 高橋香苗、福島諭)@蔵織(新潟)
●11月17日_《周辺の音楽》- タンジェントデザインの視点 - @Gallery 3+4 Creative(新発田)
●11月30日_~導灯(シルベトウ)~ 2nd (with PAL) @入船うどん(新潟)
●12月21日_《周辺の音楽》- 田口雅之の音楽 シンセサイズと組織法 -(出演:田口雅之/福島諭)@蔵織(新潟)
●12月22日_《周辺の音楽》- 田口雅之の音楽 シンセサイズと組織法 - @Gallery 3+4 Creative(新発田)

【楽曲提供】
●楽曲提供:シネウィンド紹介映像への楽曲提供(映像:遠藤龍)(6月中)
●楽曲提供:Noismダイジェスト映像へ作曲提供「Noism1の15thシーズンダイジェスト映像」(8月中)
●楽曲提供:conte(「こします」「やくさじ」商品紹介映像に対する楽曲)(6月〜年内作業)
●作曲提供:ひのまる幼稚園お父さん役員の為の楽曲作曲「はばたく世界へ」(9月中)
●楽曲提供+映像編集:PaddyFieldリニューアルWEB用ディザ−映像 (11月中)

【執筆・講演】
●07月30日_Noismへの文章執筆
●講演:静岡文化芸術大学『時間の記述とその思考』(12/05)

【楽譜制作】
●楽譜:《CRACK》for Solo Trumpet and Computer (2018)の清書完了(12/01)




2020年3月3日(火)から5月9日(土)までに執筆・加筆
新潟にて福島諭







+ 濱地潤一より

《変容の対象》2019年総括文


今日は2020年の4月19日。2019年7月のイアマスでの「日々《変容の対象》aug」の試演から2020年の2月名古屋の愛知県芸術劇場での初演と《変容の対象》という作品にとって、重要な共同作品がイアマス・タイムベースドメディア・プロジェクト制作下で行われた。映像作家の前田真二郎さんと最初に会ったのは2009年ごろの名古屋でサクソフォン・ソロの公演の後福島さんとともに食事した時か、または福島作品の「amorphous ring I」の公演後かだったと思う。今でもそのどこかのレストランでの光景は断片的に脳裏にあって、いささかも色褪せないのは何か不思議な気がする。それから月日は流れ、前田さんの作品のライヴ上映での演奏を数年周期で伴にし、様々な邂逅があり、その度に前田作品「日々」と《変容の対象》で何かできるような気がすると話していた。それはごくたわいのない一瞬の、ふとしたやり取りであったり、その時の演奏の後の幾分上気した雰囲気での会話の流れの中だったり状況は違えど、常にそういった時間はあったように思う。前田さんの映作品「日々」は2004年の1年を通じて毎日、月の周期に沿って1カット15秒撮影された「日々”hibi”13full moon」から、時を経て今回の毎年8月の31日間、ワンカットを撮影し記録したもの、他にも「天皇考」と題されたものもある。前田さんのマスターピースのひとつだと僕は認識している作品だ。我々の変容は2009年から毎年、毎月1作品、年間12作品の組曲を作曲し、今に至る。だからそれぞれの作品の8月は2019年までに11作品あり、11年の月日がそこに流れている。長い時間を付帯するそれぞれの作品が今結節点を結ぶ。

前述の2月の初演はその11作品が順に「演奏」された。括弧付きの演奏と、こう書くのは舞台上で投射される映像も文字通り「演奏」されるということを意味する。前田さんが考案したその技法は我々の変容の対象の譜面を読んで映像送出を行うというもので、映像送出も譜面を読める奏者が担当する。単に映像を流しそれに音楽を合わせるといった作品は数多星の数ほど存在するだろうけれど、それらとは本質的に存在のトポスを異にし、舞台上の三者(ピアノ、サクソフォン、映像送出)は、演奏するそれぞれのいうなれば三要素をリアルタイムで生成してゆく。

  初演の奏者は山内敦子(ピアノ)木村佳(サクソフォン)森田了(映像送出)

《変容の対象》にとって重要な「時間」が流れ、そして刻まれた。

***



今回の総括文は自覚的に感覚的な総括文にすることに決めた。昨日、ふとこう思った。「音楽というものを前にして楽器に触れる時、感覚的に(完全にそうすることは不可能だとしても)何かをしようとすることはほぼないから、、、」それは技法の更新であったり、楽器の制御に関することには顕著で、今もその最中だから強く意識されたのかもしれない。



1月 動機は福島さん 昨年のような轍は踏まない(2018年の総括文を参照されたし)と意識するまでもなく、動機から転調に至るまでの組織形成は美しい。音の鳴っている今、そこに在る時間は永遠の気配を感じさせるように聴こえる。或る「何か」を獲得しているように感じる。

2月 動機は自身から いったいどうやって書いたのかわからない。明らかに自分が書く、あるいは吹く組織があるような気もするけれど、やはり譜面に定着することで可能になるものであるようにも思う。単純にこの作品を演奏家が演奏しているところを見て、聴いてみたい。そう思う。

3月 動機は福島さん 奏法に関しては当該のベンドダウン指示の音のみにクウォータートーンに近づけていくこと、、、ゆっくりと音を下げていき、次の音に移る。ここはポルタメントとは明確に違うので書いておく。静謐な楽想であり、演奏には神経を使う箇所も多い。特にベンドダウンは普通のものではないからその扱いは難しいけれど、その響きはその時(書いている時)はっきりと聴こえていた。

4月 動機は自身から こういった楽想に分類される作品が変容には数曲あって、でも何かが違う、、、その何かは言語化できないけれど、うまくいっているように思う。配置、音符の配慮とでもいうのか、、、それを付帯した何か、、、

5月 動機は福島さん 9小節目の組織を書く時の様子ははっきりと覚えている。何かに「触れて」いる感触のある作品になっている。いろいろ書くことも可能なような気もするけれど、たとえばこれが演奏される時に福島さんと話せるような、、、何か、、、

6月 動機は自身から おそらく楽器を持った時の感触を想起しながら書いた作品だと思う。思う、、、というのはもう忘れているからで、実は「忘れる」ことも変容では機能の一つ、要素でもあるのかもしれない。2月の作品もそうだけれど、アルト・サックスとはこういう楽器であり、楽器固有の、それがもたらす何かは、書かれている気がする。

7月 動機は福島さん 分裂的な楽想でもあり、変容らしくもある。痙攣的な組織の挿入は明確な意図を持って書いた記憶がある。実際に演奏されたらその都度変わる聴取、、、そんなイメージ。

8月 動機は自身から この作品だけは実際の演奏家が演奏している光景を僕も福島さんもすでに視 ている。イアマス・タイムベースドメディア・プロジェクトの一環で前田真二郎さんの作品「日々」と我々変容の対象との共同作品 「日々《変容の対象》8月」であり、今年2020年の2月名古屋芸術劇場で初演された。映像送出も我々の譜面をもとに創出される映像作品と音楽作品の融合であり、譜面というメディアをもとに「全てが演奏」される。ポルタメントと映像の時計の箇所が重なる瞬間の名状し難い体験を忘れることはできないだろう。

9月 動機は福島さん 最初に動機に示されたものの返答の組織を執拗に使っているのはその時の視点がそうであったと覚えている。そこからヴァリエーションを増殖させてゆく、、、ということを狙っていたように思うけれどそうしなかった。もう少し拡げる余地はあったし、福島さんの提示するトリルに反応すべき箇所はあったように思う。

10月 動機は自身から 確認し終えて一言「変わった曲だ、、、」と一人呟く。

11月 動機は福島さん 変容でこう言った楽想の作品はあまりない。単に避けようとしていたわけでもないだろうけれど。福島さんにしろ、僕にしろ、考え方がああだから、、、と予想はつくが別段そういったことを互いに話すわけでもない。

12月 動機は自身から 変容にあって、12月は何かがあるのかもしれない。毎年何となく、、、それは福島さんとも話したことがあった。この作品は書いている時、幻視ならぬ幻聴めいた感覚におそわれる、、、と言ったら大げさだけれど、音符と音符の連なりの隙間から聴こえてくる幻聴があり、それを譜面に書いた箇所もある。この作品も実際に演奏される光景を視てみたい。11月とは別の分類の「あまりない作品」であるように思う。うまくいっているとも思う。

2020年4月5日。和歌山にて第1稿を記す。4月19日加筆。5月7日加筆。濱地潤一